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札幌地方裁判所 昭和56年(わ)189号 判決

本籍並びに住居

札幌市東区北二六条東六丁目七七六番地

医師

岩田都之

昭和九年一〇月二六日生

右の者に対する所得税法違反被告事件につき、当裁判所は、検察官竹田勝紀、弁護人北武雄、同富田均、同木村和俊出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人を懲役一年及び罰金一、二〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは金一〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、札幌市東区北二六条東六丁目において産婦人科医院を経営するものであるが、所得税を免れようと企て、自由診療による収入の一部を除外するなどの不正な方法によつてその所得を秘匿したうえ、

第一、昭和五二年分の所得金額が一億一、六八一万三、五六〇円であり、これに対する所得税額が七、〇〇〇万六、五〇〇円であるにもかかわらず、昭和五三年三月一五日札幌市東区北一六条東四丁目所在の所轄札幌北税務署において、同税務署長に対し、所得金額が九、〇八九万三、八五四円であり、これに対する所得税額は五、〇六〇万〇、五〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もつて不正の行為により、所得税一、九四〇万六、〇〇〇円を免れ、

第二、昭和五三年分の所得金額が一億〇、一一一万五、四二五円であり、これに対する所得税額が五、七八七万七、九〇〇円であるにもかかわらず、昭和五四年三月一五日、前記札幌北税務署において、同税務署長に対し、所得金額は七、五二三万一、五四四円であり、これに対する所得税額は三、九〇一万五、七〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もつて不正の行為により、所得税一、八八六万二、二〇〇円を免れ、

第三、昭和五四年分の所得金額が八、三八三万九、八四九円であり、これに対する所得税額が四、四七二万〇、一〇〇円であるにもかかわらず、昭和五五年三月一四日前記札幌北税務署において、同税務署長に対し、所得金額は五、八一二万八、二四八円であり、これに対する所得税額は二、七一〇万四、〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もつて不正の方法により、所得税一、七六一万六、一〇〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)

一、被告人の当公判廷における供述

一、第一回公判調書中の被告人の供述部分

一、被告人の検察官に対する供述調書

一、被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書五通

一、証人岩田美恵子の当公判廷における供述

一、岩田美恵子の大蔵事務官に対する質問てん末書一〇通(但し、昭和五五年七月三〇日付の八の問答及び同年一〇月二九日付の六、七の問答部分を除く)

一、奥和弘及び中村禮子の大蔵事務官に対する各質問てん末書

一、小野昭英及び笹原寛敏作成の答申書

一、検察官竹田勝紀及び弁護人北武雄作成の合意書面

一、小倉隆雄作成の証明書

一、柏葉洋作成の証明書

一、岩田美恵子作成の「収益分配金等(利子所得となるもの)明細書」と題する書面

一、中村礼子作成の「産科婦人科(入院分)未収貸倒分」と題する書面

一、検察事務官作成の報告書二通

一、大蔵事務官作成の調査事績報告書五通(但し、昭和五五年一一月三日付については本文及び表のうち産科婦人科の入院分を除く)

一、大蔵事務官作成の「岩田都之の所得税法違反けん疑事件に係る収入除外金額の確定方法について」と題する書面(本文及び表のうち産科婦人科の入院分を除く)

一、被告人作成の被害届謄本

一、押収してある所得税の確定申告書一綴(昭和五六年押第九七号の1)、同昭和五二年入金伝票等綴一二綴(同号の2の1ないし12)、同昭和五三年入金伝票等綴一二綴(同号の3の1ないし12)、同昭和五四年日計表及び入金伝票綴(同号の4の1ないし12)、同昭和五二年分カルテ(入院分)一綴(同号の5)、同昭和五三年分カルテ(入院分)一綴(同号の6)、同昭和五四年分カルテ(入院分)一綴(同号の7)、同昭和五二年分カルテ(外来分)一六四束(同号の8)、同昭和五三年分カルテ(外来分)一八八束(同号の9)、同領収証控五四冊(同号の12ないし63、66、67)、同日計表二冊(同号の64)、同手帳一冊(同号の65)

(争点に対する判断)

検察官は逋税所得の金額、内容につき、別表1の(1)ないし(3)の修正損益計算書及び別表2の(1)ないし(3)の逋脱所得の内訳表のとおり主張し、被告人及び弁護人はその一部を否認し縷々主張するので、以下各争点ごとに検討を加える。

一、産科婦人科(入院)分回収不能額について

検察官は別表2の(1)ないし(3)の各〈1〉(a)のとおり産科婦人科(入院)分の収入が存する旨主張するのに対し、弁護人は、右は回収不能に終わつたものであるから逋脱所得にならない旨主張する。

そこで検討するに、関係証拠によれば、被告人方から押収した領収証(控)、カルテには、検察官と弁護人の合意書面添付の表(その内容は別表3のとおり。以下別表3という)のとおり検察官の主張に添う記載があること、被告人は本件捜査段階における大蔵事務官とのカルテ、領収証(控)等のいわゆる付き合せ作業において、はつきり未収となつている分(縁故者等で入院費用を受けとらなかつた分)についてはこれを区分し、右未収分カルテは被告人に還付され、本件起訴分の 脱所得には組入れられてないことが認められ、以上を総合すると、本件起訴分の各年度産科婦人科(入院分)所得については、検察官主張のとおり、現実に入金されていたものと推認することもあながち不可能なものとはいえない。特に別表3の備考欄に「点数表に『〈入〉四八、六九〇』の記載あり」又はカルテに『¥三〇、〇〇〇あづかり婦長さん』の記載あり」等の記載のある部分(別表3の昭和五二年度分の17、26、32、34、42、昭和五三年度分の11、12、16、23、28、31、33、昭和五四年度分の5、6)については、当欄記載の金員の入金があつたことは明らかであると認められる。

しかし、他方、関係証拠によれば、被告人の経営する岩田産婦人科医院(以下本件医院という)では本件査察調査以前においては入院費用の現実の支払を受ける前に事務員らが領収証を患者に渡すこともあり、現実に入金のない分についても領収証(控)の残つた可能性があること、被告人は捜査段階から一貫して、人工妊娠中絶分、避妊リング挿入分、乳児診療分につき被告人の妻岩田美恵子(以下美恵子という)に指示し、不正な日計表を作成させ脱税工作をした旨供述しているも、産科婦人科(入院分)については脱税工作をしたとの供述を明確になしておらず公判段階でも一貫してこれを否認し、この分については患者から入院費用の支払を受けておらず、その回収が不可能になつていたから所得として申告しなかつた旨の供述をしていること、美恵子も捜査段階から一貫して、人工妊娠中絶関係については、本件医院事務員が作成した日計表と現金が病院から被告人方に回された後、被告人が自己(美恵子)に指示し、正規の収入の一部を除外した会計伝票を作成させ、この伝票を税理士に渡し、これをもとに確定申告させていた旨供述するも、産科婦人科(入院)分についてこのような工作を行なつた旨の供述はなしていないこと、本件医院では患者が支払をせず黙つて逃げるなどしたため未収になつた場合については、このカルテをことさら区分してはいなかつたこと、本件医院の事務員をしている中村禮子の調査によると昭和五五年九月から昭和五六年五月までの間に産科婦人科(入院)未収分が合計四六万七、五三九円あつたことが認められ、以上のような本件医院の領収証発行状況、被告人の脱税工作状況、被告人及び美恵子の供述内容、態度、昭和五五年九月から昭和五六年五月までの間の未収状況等を併せ考えると、前記のとおり別表3備考欄に「〈入〉―円」、「¥あづかり婦長さん」などの記載のない部分については、現実には入金されておらず、未収状態にあつたのではないかとの疑いを払拭することができず、この分についても現実に入金されていたとの検察官の主張には合理的な疑いが残り、当裁判所は、右部分については未収状態にあつたものと認定する。

ところで、所得税法にいう収入すべき金額とは、収入すべき権利の確定した金額をいい、その確定時期は、事業所得にかかる債権については法律上これを行使することができるようになつたときと解される(いわゆる権利確定主義、同旨最判昭和四〇・九・八、最刑集一九-六-六三〇)ところ、関係証拠によれば、本件未収入分についても各患者が入院診察を受け、別表3記載の各領収証(控)等の欄の日付ころ退院した事実は明らかであるから、各患者の退院時点で被告人の債権行使が可能となつたものと解され、この時点で収入があつたものと認められる。

そこで、本件においては、右債権が単に未収であつたというだけでは所得から控除されることはなく、所得税法五一条二項の貸倒れに該当してはじめて必要経費として所得から減額されることになるから、次に、本件債権が貸倒れとなつていたか否かにつき検討する。

一般に、債権が所得税法五一条二項の貸倒れと認められるためには、客観的に債権回収の見込みのないことが明白であることが必要と解され、これについては、債権者の取立意思、債務の弁済状況、債務者の財産状況、債権者の利用した取立手段、方法、帳簿上の債権の処理状況等を総合して客観的に判断すべきものと解されるところ(同旨東京地判昭四八・一二・一、国税庁編「直接国税関係刑事判決要旨集」昭和五五年三月刊二〇六頁参照)、本件においては関係証拠によつても、被告人が本件債権につき債務免除をしたような事情はなく、個々の債務者に対し所在調査や訴訟その他の方法による強力な督促請求をなしてもおらず、また未収金につき税理士に依頼するなどして会計上正規の貸倒れ処理をしたような形跡も窺えず、前記判断基準に照らしても被告人の本件債権が客観的に回収見込みがないものとは認められない。よつて、本件債権は所得税法五一条二項の貸倒れには該当せず、所得から控除されるべきではないから、この点に関する弁護人の主張は採用できない。

二、盗まれた簿外現金について

弁護人は、被告人方では、昭和五三年一二月二四日現金二七〇万円余りの盗難にあつたから、そのうち被告人の所有に属する現金一八〇万円については、逋脱所得から控除されるべきである旨主張するので検討するに、関係証拠によれば、被告人の所有に属しかつ客観的に事業用資産とは認められない現金二七六万九、〇〇〇円が、美恵子所有の宝石類と共に昭和五三年一二月二四日被告人方自宅寝室のホーム金庫内より盗難にあつた事例が認められるが、昭和五六年法律第一一号による改正前の所得税法七二条一項によれば、非事業用資産について盗難による損失が生じた場合にはその被害額が、当人のその年の総所得金額の一〇分の一に相当する金額を超える部分についてのみ所得から雑損失として控除されるものであるところ、関係証拠によれば、被告人の右盗難額はすべて当該年度の総所得の一〇分の一の範囲内にあるから、本件において被告人の盗難にあつた右金員に相当する分につき雑損控除を受けることはできない。よつて、弁護人の主張は採用することができない。

三、病院内紛失現金について

弁護人は、昭和五二年ないし昭和五四年の間、各年三〇万円の病院内紛失現金があるから、右金額を各年の逋脱所得額から控除されるべきである旨主張するが、関係証拠によつても各年度各三〇万円の病院内紛失現金があつたとは認められないから、弁護人の主張はその前提を欠き、採用できない。

四、人工妊娠中絶(入院)分回収不能について

弁護人は、人工妊娠中絶(入院)分についても、昭和五二年、五三年度には各二〇万円の回収不能額があつたから、逋脱所得から控除されるべきである旨主張するが、関係証拠に照らしてもそのような事実は認められないから、弁護人の主張はその前提を欠き採用できない。

五、青色申告承認取消に伴う発生所得について

弁護人は、青色申告の承認取消に伴い発生した所得については、被告人に脱税の故意がなく、又、右発生所得(貸倒引当金繰入額等)自体につき不正の行為は介在していなかつたから本件発生所得については逋脱所得に繰入れられるべきでない旨主張するので、以下検討する。

ところで、当裁判所は、所得は期間損益の成果として益金と損金の増差計算の結果算出されるものであり、その計算過程においては可分のものであるが、計算の結果算出された所得は客観的に不可分単一なものと解し(いわゆる所得不可分説)、逋脱の故意についても各年度の所得全体についてその成否を考察し、租税を免れるため当該事業年度の所得の一部を隠匿するなどの不正工作をして虚偽過少申告しようとの認識があれば足り、個々の勘定科目及びその内容の細目までも認識する必要はないものと考え(いわゆる概括認識説、同旨大阪高判昭和五二・七・一二、広島高判昭和五二・四・二一いずれも国税庁編「直接国税刑事判決要旨集」昭和五五年三月刊、四七~四八頁参照、後掲最判昭和四九・九・二〇も右のいわゆる概括認識説を前提とした判旨と思われる。この点につき同旨本吉邦夫・最高裁判例解説刑事篇昭和四九年度二九〇頁、板倉宏・「青色申告納税者の逋脱行為と逋脱税額の算定」ジユリスト昭和四九年度重要判例解説一四六頁)、被告人の判示各年度における各過少申告行為自体を単一体として把握し、右各過少申告行為と税負担を免れた部分との間に因果関係の相当性があれば、相当性のある範囲内においては、すべて責任を負うものと解する。

そこで、右の見解を前提にして、本件を考察するに関係証拠によれば、被告人は判示のとおり各年度において、自由診療による収入の一部を除外するなどの不正な方法によつてその所得を秘匿したうえ所得を過少申告する旨の認識があつたことが認められるから、結局各年度所得につきいずれも逋脱の故意が存するものと解され、又、判示各事業年度に判示各虚偽過少申告行為がそれぞれ存するのであるから逋脱の故意及び不正行為が存しないとの弁護人の主張は採用できない。

しかし、租税(本件では所得税)逋脱行為と逋脱の結果との間には条件関係が存するのみでは足りず、その間に相当因果関係の存することが必要と解されるので、以下この点につき検討を加える。

右の相当因果関係が存するといいうるためには、行為時に行為者の立場に立つて、行為者が現に知り又は予見していた特別事情及び通常人が知り又は予見することができたであろう一般的事情を基礎として判断されるべきであるところ、本件に関しては、関係証拠によれば、被告人は大学院教育まで受けた医師であり、勤務医を経て昭和四六年以降は個人医院を経営していたこと、判示各年度の各申告時点においても青色申告の場合のいわゆる青色事業専従者給与の必要経費算入の特典についての認識はあつたことが認められ、右事実に加え、ある事業年度の所得税額について逋脱行為をする以上、当該事業年度の確定申告にあたり青色申告承認を受けたものとしての税法上の特典を享受する余地はなく、逋脱行為の結果として後に青色申告の承認を取消されるであろうことは通常の事業者であれば行為時に十分認識しうるはずであること(最判昭和四九・九・二〇、最刑集二八-六-二九一、なお本吉邦夫・最高裁判例解説刑事篇昭和四九年度二九〇頁参照)を併せ考えると右の予見可能性は存するものと解せられる。よつて、本件において被告人の各年度の所得虚偽過少申告等の不正行為と青色申告取消益についての逋脱結果との間には相当因果関係が存するものと認められる。

以上から、青色申告承認取消に伴う発生所得は逋脱所得から除外されるべきであるとの弁護人の主張は採用できない。

六、利子所得について

検察官は、別表2の(1)ないし(3)各※欄各記載のとおり、被告人が簿外で購入した有価証券のうち、一般にマル優と称されている少額貯蓄非課税制度(なお、国債公債利子非課税制度は一般に特別マル優と称されているが以下これを含めてマル優と略称する)を適用して非課税扱いとしていた受取利子分は、本来マル優に該当しないものであるから総合課税の対象となり、この部分も逋脱所得に組入れられるべきであると主張し、弁護人は、右検察官の主張金額のうち被告人の妻恵美子に帰属する利子所得が昭和五二年度一一万三、三一五円、昭和五三年度二二万四、五〇〇円、昭和五四年度三七万六、〇〇〇円の合計七一万三、八一五円含まれており、その余の部分(合計一一二万七、五〇〇〇円)についても被告人に逋脱の故意はないから逋脱所得から除外されるべきである旨主張するので、以下この点につき検討する。

関係証拠によれば、検察官主張の各有価証券はいずれもマル優により非課税とされていたこと、右各有価証券はいずれも被告人又は美恵子に帰属するものであること(その詳細については後述する)、しかるに仮名名義で購入されていることが認められ、仮名によるものは、マル優による特典は認められないことを併せ考えると、マル優を利用したため非課税扱いされた右受取利子分については総合課税の対象となるとの検察官の主張は、主張自体においては首肯しうるものである。

そこで次に、検察官主張のように右各利子所得がすべて被告人に帰属するものか否かにつき検討するに、小倉隆雄作成の証明書及び柏葉洋作成の証明書には検察官主張のとおり仮名の有価証券及び利子の存在する旨の記載があり、さらに一般的には仮名で有価証券を買うこと自体その資金が不正なことを一応推測しうること、美恵子自身においては特に仮名で右証券を買入れなければならない必要性はないことを併せ考えると、右証券及びその利子がすべて被告人に帰属すると解することも不可能とはいえない。しかし、他方、証人岩田美恵子の当公判廷における供述、同女作成の「収益分配金等(利子所得となるもの)明細書」と題する書面(以下明細書という。その内容は別表4と同じ)によると、美恵子は被告人とは独立した皮膚科医院を経営していること、明細書には弁護人主張のとおり、各利子所得につき美恵子に帰属する分が在するとの記載があること、明細書は証券会社社員の調査結果に基づき作成されたものであることが認められ、検察官は明細書の信用性を争うも証拠上この信用性を疑わしめるような事情は認められないこと、検察官請求の前記各証明書にも各有価証券及び利子の実質上の帰属者が被告人であるとの直接の記載はないことなどを併せ考えると、証拠上美恵子作成の書面上も、被告人が当該有価証券の帰属主体と認められる分(別表4の5ないし11、13、16、17、19、20、23ないし25、28)については、当裁判所において、右帰属主体が被告人であるとの確信に到達したものの、それ以外の部分については、これが被告人に帰属する利子所得であるとの確信には到達しなかつたもので、右部分が被告人に帰属することを前提とする検察官の主張は採用できない。

そこで次に、被告人に帰属するものと認めた利子所得に対して、被告人が逋脱の故意を有していたか否かにつき検討するに、当裁判所は、所得税逋脱の故意の成立につき前記のとおりいわゆる概括認識説を採用し、個々の収益損費の個別的認識までは必要ではなく所得の一部を不正に隠匿するなどし過少申告しようとする認識がある以上当該事業年度分の所得税逋脱の故意があるものと解するところ、前述のとおり被告人には、判示各事業年度において自由診療の一部を不正隠匿し、所得を過少申告しようとする認識があつたものであるから、判示各事業年度において所得税逋脱の故意が存することは明らかであり、この点に関する弁護人の主張は採用できない。

ところで、前記のとおり、本件においても逋脱行為と逋脱の結果との間に相当因果関係が存することが必要と解され、その前提として、被告人又は被告人の立場に立つた通常人において、本件利子所得の発生につき予見可能性が存在したか否かが問題となるので、以下この点について検討するに、関係証拠によれば被告人は自己の現金診療収入については美恵子の管理に委ね、同女は仮名で国債、フアミリーフアンド等を購入していたこと、被告人も同女が被告人の現金収入の中から有価証券を購入していたことの概要は認識していたことが認められる。しかし他方、美恵子は、当公判廷で、本件各証券が仮名でなされていることは認識していたが、マル優扱いになつていたことは知らなかつた旨証言しており、関係証拠によれば、証券の一部につきマル優扱いになつていたのは証券会社社員の判断でなされたものとみられること、被告人に帰属する仮名の有価証券についてもその多くはマル優扱いになつておらず、右仮名有価証券の総額中マル優扱い分の占める割合は小さいことが認められ、以上を併せ考えると有価証券のうちマル優扱いになつていたことは知らなかつた旨の美恵子の右証言は信用しうるものであり、さらに被告人は、証券の売買に直接関与しておらず、マル優設定等証券取引の内容についても美恵子に特段の指示をしていたとは認め難いことなどを併せ考えると、被告人又は被告人の立場に立つた通常人において、被告人に帰属する本件証券の一部がマル優扱いとなつていたため利子所得が非課税扱いになつており、しかもその部分が仮名となつていたためマル優としては無効であり、その結果利子所得が総合課税の対象となる点についてまで予見可能性があつたとは到底認めることができない。

よつて、判示各事業年度につき、被告人の判示逋脱行為と被告人に帰属すると認めた利子所得についての逋脱の結果との間に因果関係の相当性は存しないことになるから、この部分も逋脱所得に含まれる旨の検察官の主張は採用できない。

結局、利子所得に関する検察官の主張はいずれも認めないものである。

七、結論

以上述べたとおり、当裁判所は、検察官主張の各利子所得を判示各事業年度の逋脱所得から控除し、右各年度の所得、税額については別表5の(1)ないし(2)のとおり計算したうえ、判示罪となるべき事実記載のとおり認定したものである。

(法令の通用)

1  該当法案

各事業年度ごとに所得税法二三八条一項、(懲役刑及び罰金刑を併科)

2  併合罪加重

刑法四五条前段、懲役刑につき同法四七条本文、一〇条(判示第一の罪の懲役刑に法定の加重)、罰金刑につき同法四八条二項

3  労役場留置

同法一八条

4  懲役刑の執行猶予

同法二五条一項一号

(量刑の理由)

本件は、被告人が、昭和五一年一〇月当時被告人の経営する産科婦人科医院が税務調査を受けた際、その調査のあり方に被告人として納得し難い点があつたことから脱税行為に及ぶことを決意するに至り判示のとおり昭和五二年度から昭和五四年度まで、いずれも所得の一部を秘匿するなどの方法を講じたうえ所得をことさら過少申告して所得税を逋脱したという事案であるが、およそ脱税は不正な手段で国民に課せられた税負担の公平を害し、誠実に納税義務を果している多くの善良な国民の納税意欲を減殺することになる点において反社会性を有し、厳しい非難に価する犯罪であつて、ことに本件犯行は、三年の長期に亘り、脱税額が合計約五、六〇〇万円の多額に達し、逋脱率も年を追うに従い高くなつているなどその犯行態様自体も悪質なうえ、被告人は独立開業医として経済的にも恵まれ、社会的にも他から尊敬を受けるべき地位にあるにもかかわらず、あえて本件脱税行為に及んだものであつて、被告人のような立場にあるものについてこうした行為がはびこるときは、国家の財政の執行にも悪影響を与え、申告納税制度そのものをもゆるがしかねないものであつて、被告人の刑責は重大であるといわなければならない。

しかし、他方、被告人は、現在本件犯行を深く反省し、本件を契機に本件医院の事務処理方法を改善すると共に、判示各事業年度につき修正申告をし、重加算税等もすべて納付済であること、被告人にはこれまで前科前歴がないことなど被告人に有利な諸事情も存在するので、これらを総合考慮し、主文の懲役刑及び罰金刑を量刑したうえ、懲役刑についてはその執行を猶予することとした(求刑、懲役一年及び罰金一五〇〇万円)。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 奥田保 裁判官 岡部信也 裁判官 横田信之)

別表1の(1) 修正損益計算書

自 昭和52年1月1日

至 昭和52年12月31日

〈省略〉

修正損益計算書(利子所得)

自 昭和52年1月1日

至 昭和52年12月31日

〈省略〉

別表1の(2) 修正損益計算書

自 昭和53年1月1日

至 昭和53年12月31日

〈省略〉

〈省略〉

修正損益計算書(利子所得)

自 昭和53年1月1日

至 昭和53年12月31日

〈省略〉

別表1の(3) 修正損益計算書

自 昭和54年1月1日

至 昭和54年12月31日

〈省略〉

修正損益計算書(利子所得)

自 昭和54年1月1日

至 昭和54年12月31日

〈省略〉

別表2の(1)

逋脱所得の内訳表(52.11~52.12.31)

〈省略〉

別表2の(2)

逋脱所得の内訳表(53.1.1~53.12.31)

〈省略〉

〈省略〉

別表2の(3)

逋脱所得の内訳表(54.1.1~54.12.31)

〈省略〉

〈省略〉

別表3

産科婦人科(入院) 昭和52年度分

〈省略〉

産科婦人科(入院) 昭和53年度分

〈省略〉

産科婦人科(入院) 昭和54年度分

〈省略〉

別表4

収益分配金等(利子所得となるもの)明細書

(昭和52~54年分)

〈省略〉

別表5の(1)

脱税額計算書

自 昭和52年1月1日

至 昭和52年12月31日

〈省略〉

税額の計算

〈省略〉

別表5の(2)

脱税額計算書

自 昭和53年1月1日

至 昭和53年12月31日

〈省略〉

税額の計算

〈省略〉

別表5の(3)

脱税額計算書

自 昭和54年1月1日

至 昭和54年12月31日

〈省略〉

税額の計算

〈省略〉

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